外国語を話せるようになったのは「〇〇の勉強法」に答えがあった。

「語学は脳の記憶と筋肉運動が1つになって起こる融合傑作」で

語学習得には「脳に記憶させる作業」と「体の各部位を動かせるようにする訓練(筋肉運動)」が必要だと話しました。

今日は「筋肉運動」の部分について話してみたいと思います。

 

ここで再び私の経験談を思い出して欲しいのですが、

7年間日本で勉強しても話せるようにならなかった私が、半年の留学経験を経て話せるようになった(この段階では「初級〜中級」レベルでの会話という意味です)のには、ちゃんとした理由があります。そして、ここに日本の語学教育の落とし穴というか、問題点というか、それがあるのです。

 

当時7年間、様々に勉強はしました。経験談の中でも書いたように、

「ライティング」「スピーキング」「リスニング」「リーディング」をどれも一応やりました。

しかし、中学から英語の授業が始まり、受験英語を勉強していた私は、知らず知らずの間に「ライティング」「リスニング」「リーディング」を中心とした勉強法しか出来なくなってしまっていたのです。というか、「スピーキング」の勉強方法がわかりませんでした。

 

読んで、聞いて、書く。読んで、聞いて、書く。

誰もが陥るような日本の受験勉強法をずっと続けていたわけです。

 

「ライティング」「リスニング」「リーディング」、確かに意味がないわけではありません。必要がないわけでもありません。 

しかし、これら3つだけをやっていても話せるようになりません。また、「『スピーキング』を中心にした勉強」をした方が、これら3つも効果を発揮しやすくなるのです。

 

日本の受験勉強型の語学教育では、単語や文法の知識は確かに増えます。しかし、1つ文法を理解し覚えたら、それを習得したと思い込んで次のレベルの文法の勉強をしていきます。知識だけはどんどん増えていきますが、実際は簡単な基本文法レベルの会話すらスラスラ話せないという状態が生み出されます。

 

「語学は脳の記憶と筋肉運動が1つになって起こる融合傑作」だと話しました。

脳の記憶にあったとしても、それを音として発する「口を自由に動かすことが出来なければ、結局話せない」のです。

「語学はスピーキングだけじゃない」という方もいるかもしれません。しかし、どうせ勉強するなら、話せないよりは話せた方がいいのではないですか?

また、私はその他の「ライティング」「リスニング」「リーディング」が必要ないと言ってるわけではありません。

 

基本的な文法を使った文章もスラスラ話せないのに、いくら文法だけ次のレベルのものを学んでも話せないよということです。

 何をするにも基本が本当に大事です。そして、基本を「きちんと」学んで習得することがあまりにも大きいです。

 

私が留学して開花した理由。それは頭でっかちの知識人間になってた私が、語学学校の初級の授業を通して、基本的な文章を何度も何度も繰り返し話して練習したことで、「基本的な口の動かし方を学んだ」ことだったのです。

 

次回は、「スピーキング」を中心にした勉強法についてもう少し掘り下げてみたいと思います。